【わたし】自我の恐れ
2025年04月15日
真理からみると【わたし】という小さな領域にとどまる自我(エゴ)は幻想であり、自分だと思い込んで動きまわっている夢のなかの自分のようなものです。
真理からみると【わたし】という小さな領域にとどまる自我(エゴ)は幻想であり、自分だと思い込んで動きまわっている夢のなかの自分のようなものです。
この世界に生まれたわたしたちは、その肉体とマインドがあるゆえに自我(肉体)意識を持っています。
わたしたちは、季節の移り変わりをどこで感じているのでしょう。
先日、過去世のヒプノセラピーセッションを受けられた方の第一声が「そういうことですか。だからなんですね。」でした。
ここ石垣島は、少し前にとても寒い日があったものの、親しみのある湿度を含む空気と共に、心地よい日差しを連日感じています。
エゴ(自我)は、自分自身を肯定できないからこそ恐れている-。
前回、私たちは人類が【欠如】をベースにした世界で体験したものを持ち続け、採用し続け、引き継ぎ、いまもそれ越しに世界を見て現実としていると書きました。
この世界に生きるひとりひとりが、自分自身の中に確かにある揺るぎのないものを見つけ、それを指針にしていかない限り、私たちはいつだって孤独なまま外側にあるものに揺さぶられ、その度に彷徨い、右往左往し、見聞き、経験してきたあらゆる残像に振り回されて生きていかなければなりません。
20代前半の頃、【1年の節目は大晦日ではなく節分】と耳にして、そこから節分という暦に対する思いが少し変化して毎年この日を迎えてきました。
世間では、いよいよ2025年が…とか、風の時代の本格化や、水瓶座の時代などとも言われている一方、