【わたし】自我の恐れ

2025年04月15日

真理からみると【わたし】という小さな領域にとどまる自我(エゴ)は幻想であり、自分だと思い込んで動きまわっている夢のなかの自分のようなものです。

ですがこの物質世界では、自我と一体化した【わたし】こそが主であると思い込んでいます。

個という肉体とマインドを持ったことで様々な体験が可能となった【わたし】が、端的にこの世界で、いちばん恐れているものは何でしょうか-。

それは、死でも、病でも、地震でも、津波でも、天変地異でも、愛する人との別れでも、職を失うことでも、お金を失うことでもありません。

わたしたちが、いちばん恐れていること。

それは、自分自身が不快を感じるということです。

それがわたしたちの、すべての自我が恐れていることです。

この世界での経験を通して自分のマインドに不快が生まれるがゆえに、ひいてはわたしたちは自然を、他者を、自分自身を、この社会を、世界を恐れます。


想像してみてください。

なにがあっても、なにが起きても、自分自身がそこに不快を感じることがなかったのなら、それはあなたにとって、わたしたちにとって、なんの脅威でもないはずです。

平穏で、日常で、心を取り乱すことはありません。

自我は、不快を感じたくないからこそ、【不快】を記憶します。

それも強烈に周到に根を張って無意識下に深く刻んで記憶します。

なぜなら、それが、【わたし】にとってなによりの脅威だからです。

だからこそ【わたし】は自分のすべてを使って、体のあらゆる機能・感覚をフル回転させて記憶しています。

実際に自分の身に起きた出来事に限らず、ニュースや友人や知人、親や学校の先生やSNSが運んでくる、耳や目から入ってくる情報でも、それは自分の体で得たこの世界で起きた有益な情報として、取り込まれます。

そうして、わたしたちは不快を回避するため、この世界の不快と思われるあらゆる情報を蓄積しています。

もちろん無意識に、です。

わたしにとって、自我にとって、それが生きるためにもっとも大切で、もっとも必要なことだからです。

恐れの情報を蓄積して、恐れから自身を守ろうとするのが自我の役割りです。

それは幻想であるがゆえに、無いものを永遠に、無心に追い求めます。

自我が自我自身を守るための働きが、その幻想に追われて行き着くところは、ぐるぐるといたちごっこのようにみずから集めた恐れに、みずからが溺れていきます。


不快は、感情の一部。といえますが、感情というのは自己の内側にある内的情報に、肉体的感覚機能がキャッチする外的情報が交わることによって、内部で自然発生するエネルギーです。

発生した感情のアウトプットは、コントロールが必要な場面が社会ではありますが、感情のそれ自体はコントロールするものでも、そもそもコントロールできるものでもないのです。

ただ、わたしたちはそれを目撃するということができます。

自我の働きを見つめる【わたし】がいるとき、そのとき自我と一体化している【わたし】は存在するでしょうか。


人生を変えたい、変わりたい、この世界をありのままに見たい、愛したい、愛されたい、自分にも他者にも世界にも愛を見い出したい、生きづらさから解放されたい、癒したい、真理を知りたい、目覚めたい、悟りたい、探求したい、ほんとうの自分を知りたい-。

いま、そうした感情が湧いている人にとって、

またこれを読んでくださっているすべての人にとって、

わたしたちは自我ではないという、真理を見い出していくことは、永遠なる道の一歩先を照らす光になります。


感謝をこめて

MARI


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