癒しと自我

2025年04月11日

この世界に生まれたわたしたちは、その肉体とマインドがあるゆえに自我(肉体)意識を持っています。

それがわたしたちの本質である愛そのものという源(ソース)に付随している標準パックのようなもので、この世界に生まれたみんながこの世界をそこから見て、肉体と自我と一体化した【わたし】の物質世界はそこから始まります。

わたしたちがこの物質世界に生まれてくるのには、理由があり、【欲求】があるからだとも言われます。

または【癒されていない傷・痛み】があるからだとも言います。

hologramで過去世のヒプノセラピーセッションを受けられた方は、なんとなくお分かり頂けるかもしれませんが、

全てが完全に調和している真理からみるとこれは同じことを表していて、傷があるがゆえに欲求は生まれます。
【欠如】がベースの自我 ゆえに、足りないものを埋めようと求めるのがそれです。

 肉体が役目を終えて横たわったその時、様々な想いが浮かび上がりますが、後悔や反省が全くない自分自身を想像できる人がどれほどいるでしょう。

わたしたちはみんな、傷があって、痛みがあって、それがあるからこそ物質世界に物質として肉体を持って生まれているのかもしれません。

その傷や痛みの具体的な中身、種類、そして大小があるとすればそれはひとりひとり違いますが、共通しているのはみんながそれを、痛みを、抱えているということです。


痛みを持っていない人はいない-。

それが自我(肉体)意識の【欠如】の性質そのもので、それがわたしたちが生まれてくるときの標準パックの持ちものであるということです。

生まれながらにわたしたちは、この世界で無意識に【欠如】を認識し、フィルターとして抱え、持っている傷と共鳴してさらなる【欠如】をとらえ、自我の仕組みゆえに次々と重ね膨らませていきます。もちろん無意識にです。

それがこの世界に生きる多くの人が今もやっていることで、これまでもやってきたことで、今見ている世界です。

わたしたちが悪いわけでも、誰のせいでもなく、です。

ただ、それが、この世界の、この人間の仕組みの一端であるということです。


【欠如】からなる世界は、わたしたちの自我意識そのものであり、そのエネルギーはわたしたちが生まれながらに持っている、純粋な聖なる魂に付随された、抱えられた傷・痛みです。

それらは、手に取って癒してあげることができるのです。

付随されたものであるからこそ、手当てをして癒してあげることによって、切り離すことが可能なのです。

そして、広がり積み重なっていた傷を、癒してあげればあげるほどに、隠れていたわたしたちの本質の自己は、おのずと顔を出し、見い出されはじめます。

癒されれば癒されるほどに、分厚い雲のように自己の聖なる本質を覆っていた自我意識が、徐々に薄い雲になっていき、それがもつ【欠如】のエネルギーのパワーは少しずつ失われ始めるのです。

それは、癒されるほどに自我の性質に同調しなくなる-。

つまりは、癒されることで【欠如】の世界に同調しにくくなることを意味します。


わたしたちは、癒されていないがゆえにこの世界に【欠如】を見て、そしてそのエネルギーにパワーを持ち、与え続けてしまいます。

それにまた多くの癒しを必要としている同志たちが同調し、【欠如】を暗黙の了解さながらシェアし、そうやって、【欠如】は世界に違和感を与えることなく拡がっていきます。

違和感なく、【欠如感】が拡がり、不満、不安、恐れ、虚しさ、自己否定、他者否定といったようなあらゆる不快感は拡がり、いたるところで自我による無意識の攻撃と防御が繰り広げられているのです。

幼いときから、すでに家で、園で、学校で、公園で、道路で、職場で、地域で、日本で、国対国でずっと昔から繰り広げられ続けています。


わたしたちは、誰一人のもれもなく、全員が見えない場所で繋がっています。

たったひとりの癒しは、その個人のみならず、一見関係の無い繋がりなど無い遠い場所にいる人にとっても、たしかな光の網の目となります。
それが世界の平安につながっていることは明白です。
それが、自我という幻想の世界から、私たちの内なる本質からなる愛と調和という世界への道すじです。

この世界に【欠如】を認識することがなくなった人々によって、それはもう始まっています。 
ゆっくりと、でも確実に紡がれてきた光の網には、いつでも誰でも手を伸ばすことができるのです。
 



感謝をこめて

MARI

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