怒りも恐れも悲しみの傷
2025年06月10日
すべての不快という感覚・感情の根元は、悲しみという癒えていない傷を負ったエネルギーに他なりません。
怒りも、恐れも、原初は悲しみという傷です。
無意識下で悲しみを察知し、怒りにもなれば、恐れにもなります。
わたしたちは、記憶の有無に関わらず、それを知っていて、経験しています。
一度も知ることが無ければ、そこに、悲しみも怒りも恐れも感知することはありません。
わたしたちの内的体験として、無意識下にそれは宿っていて、そのエネルギーは抱えられているのです。
人類の長い長い歴史と共に、わたしたちのDNAにそれは刻まれているとも言えるでしょう。
それは「わたし」の責任でしょうか。
決してそうではないのです。
ただ、「わたし」を通してそれが表現されているのです。
人類が、自我という欠如の柵のなか、自己の狭い領域で繰り広げてきた惨劇の悲しみの一端を、個々が担っているのです。
「わたしが悪いんですよね。」
「わたしの責任ですよね。」
「わたしが選んできたから仕方ないですね。」
そうした重荷は、この世界の創造という心のしくみ、真理の認識と共に、手放すことを可能とします。
わたしのせい、あなたのせい、誰かのせいなんてことがあるでしょうか。
それは真理のなかではどこを探しても見つけることはできないのです。
ただそこに、悲しみという傷を負ったわたしたちの一部が表にあらわれているだけです。
目撃してください。
「わたし」を通して何が流れているか、流れようとしているか。
「わたし」を通して、抱えているエネルギーは表にあらわれてくれています。
そして、手放すために、まずは両手ですくう必要があります。
感謝をこめて
MARI
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